施術を学ぼうと思った動機は“自分を対象とした実験”!?
今回は私が施術を学ぼうと思った動機についてを掲載。さっそく本題へ。
私が施術を学ぼうと思った動機は、
「世の中には怪しい健康法や施術がたくさんあるが、それらを信じていない自分ですら納得せざるを得ないほど、その技術は確かで、かつ体得できるものなのか?」を確認するため、でした。
凄い動機
いわば自分を使った実験、
“果たして施術に元々興味のない人間が、施術を学ぶ中で技術が確かなものであると体感し、会得し、施術家になれるものなのか!?”です。
看護師免許を持つ者として真偽のほどを確認しておきたい、と言うのもありますが、
単純に興味・関心が強かったです(:]ミ(:]彡(:]ミ(:] 彡
施術の学びは、個人的にはひたすら“技術”
いざ施術を学び始めると、「むしろ技術の世界なんだな」と実感、これまでの認識を改めました。
これまでの私の、施術に対する認識は、
“身体に手を置いたり動かしたりして、施術家って具体的に何をやってるんだ…?
怪しい…何かやってる風のめちゃめちゃインチキの可能性もあるで…!”
と疑いの目で見ていましたが、
いざ施術を学びに行き、自分が身体の中の構造物に触れられる感触を体感した日には物凄く驚きました。
他の施術は体験していないのでわかりませんが、少なくとも私が学んだホロソフィー施術に関しては、信憑性があると判断し勉強に取り組みました。
さて、こうして施術に関する哲学や考え方も学ぶのですが、自分に響いたのはひたすら“技術”でした。
正直めちゃくちゃ楽しかったです。
フラットな施術家として
試験に合格し施術家となった現在も、
施術に対する思い入れはフラットなままです。
①技術を体得したこと
②技術を信用できるようになったこと
この2点が、施術を勉強する前と今との大きな違い。
「施術は神!」みたいな認識ではありません。
また、施術を行う相手の身体に対して、
「体はこうあるべき!」というような認識を持っているわけでもなく、
一見すると施術家としての信念が無いように見られるかもしれません。
ただ、施術に対して特別ポジティブなフィルターがかかっていないからこそ、
また「身体はこうあるべき」という固定観念がないからこそ、
フラットに相手の身体に向き合い、結果相手の身体を尊重でき、そして合理的に対応できるというのが、今の私の施術の特徴だと思います。
ちなみに、比較的フラットな目線を持ってはいますが、かといって私に信念や熱意がないというわけでもありません。
ただ、かなり長文になってきたのでこれに関してはまたおいおい語っていきます。
色々言いましたが…
施術は一生勉強だと思っています。
己を過信せず、かといって卑屈にもならず、
“自分の技術“と“お客さんの身体”をフラットな目線で見つめ、最善で対応できるよう心がけます。
そして、より効果的に対応が出来るよう、常に技術を磨き続けたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
コメント